四千頭身・都築拓紀の学歴&経歴|“嫌われ者”だった高校時代と芸人を目指したきっかけとは?

都築拓紀 の出身大学や高校は?学歴詳細まとめ お笑い芸人

都築拓紀のプロフィール

項目 内容
名前 都築 拓紀(つづき ひろき)
生年月日 1997年3月20日
出身地 茨城県龍ケ崎市
身長 177cm
血液型 O型
所属 ワタナベエンターテインメント
担当 ボケ(一部ネタでツッコミも)
所属トリオ 四千頭身
活動開始 2015年〜
家族構成 両親・妹・弟
特徴 出っ歯・舌が大きい・芸術センスあり
趣味・特技 野球・絵・遊戯王・バスケ・ギター・神社巡り

都築拓紀の学歴一覧表

帽子をかぶっている都築拓紀

学校区分 学校名 偏差値 備考
小学校 龍ケ崎市立城之内小学校 小3で「お笑い芸人になる」と宣言。絵画の才能を発揮し複数受賞歴あり。
中学校 龍ケ崎市立中根台中学校 野球部に所属。がんばる太郎(後輩芸人)と同校。
高校 千葉県立印旛明誠高等学校 48 野球部所属。文化祭での手柄横取りエピソードあり。担任に芸人を勧められる。
大学 進学せず 高校卒業後、ワタナベコメディスクールへ進学。22期生。

それぞれの詳細を見ていきましょう!

都築拓紀の小学校時代 ~ 明るすぎる少年の芸人への第一歩

出身小学校:茨城県 龍ヶ崎市立城之内小学校


茨城県龍ヶ崎市の公立小学校に通っていた都築さん。

この地域で生まれ育ち、後の芸人人生につながる表現力やユーモアの基礎をここで身につけました。

家族構成

都築拓紀さんは5人家族で、両親と妹、弟がいます。

妹さんとは顔がそっくりで、SNSでも話題になったことがあるそうです。

都築拓紀と妹

弟さんは発達障害を公表しており、都築さんもそれを個性として受け入れていると話しています。

特に母親とは仲が良く、今でも「ママ」と呼ぶほど親密で、一緒に飲みに行って5時間以上話し込むこともあるとか。

都築拓紀の母親

「地元で一番明るい子」

都築拓紀さん自身が「地元で一番明るい子だった」と言うほど、とても活発で元気な小学生でした。

特に「しゃべること」が大好きで、先生やクラスメイトとの会話では中心的な存在。

学校ではいつも目立っていて、友達の輪の中心にいるのが当たり前の存在でした。

2歳下の妹さんは内向的だったため、外出するときは妹を連れていってあげる「スーパーお兄ちゃん」だったと振り返っています。

幼い頃からお笑い大好き少年

都築拓紀さんは子どもの頃からお笑い番組が大好きでした。

  • エンタの神様
  • 爆笑レッドカーペット
  • はねるのトびら
  • レッドシアター

など、毎週録画して何度も見返すほどハマっていたそうです。

その影響で、小学3年生のときには既に「将来はお笑い芸人になる」とクラスで宣言していました。

早い段階で自分の「好き」を言葉にして、夢として掲げる行動力は、今考えるとまさに芸人の素質そのものですね。

「ペロリンガ出っ歯」というあだ名

ベロが長い都築拓紀

都築拓紀さん本人もラジオなどでよくネタにしているのが、小学校時代のあだ名「ペロリンガ出っ歯」です。

出っ歯が特徴の都築拓紀

その理由は、

  • 前歯がかなり大きく出ていた
  • 舌が異常に大きく、よく出ていた

この2つの特徴から、ポケモンの「ベロリンガ」になぞらえてクラスメイトにつけられたそうです。

都築拓紀と似ているポケモン・ベロリンガー

この個性的な顔立ちと喋り方も、お笑い芸人としての個性づくりに役立っていたかもしれませんね。

漫画好きな一面も

都築拓紀さんは漫画オタクの一面も持っていて、小学生の頃は「遊戯王」「NARUTO」「鋼の錬金術師」といった人気漫画に夢中でした。

「遊戯王」は大人になってからも大好きで、カード集めも趣味の一つ。

どこか「オタク気質」で、マニアックな趣味に熱中するタイプでもあります。

人生を考えさせた母の言葉

印象的なのは、小学6年生のときに母親から言われた人生の選択を促す言葉です。

「あなたが勉強嫌いなら、大学に行く意味はない。お金も出せないから、自分で道を決めて」

この言葉があったからこそ、都築拓紀さんは「自分には何が向いているのか」「何をすべきか」と真剣に考えるようになったと話しています。

──そもそも、どうしてお笑い芸人になろうと思ったんですか?

小学校6年生のときに、母親から「高校卒業するまでに、大学入学以外の道を決めてくれ」と言われて。「勉強好きじゃないんだったら、私たちはそれにお金を払っていられない」と。だから、やりたいこと見つけて独り立ちしてくれって。小学生ながらに……。【引用元:クイック・ジャパンウェブ

後に芸人を目指すきっかけは、この時点で既に作られていたのかもしれません。

絵の才能も開花!コンテストで受賞も

都築拓紀さんは絵を描く才能も持っていました。

母親の勧めで通っていた地元の「自由アート教室」では、その才能を開花させました。

  • 2008年:「第57回こども二科展」入選
  • 2009年:「第16回世界こども図画コンテスト」国内優良賞受賞

どちらも全国規模の有名なコンテストで、小中学生の頃から高く評価される腕前だったんです。

本人は「適当に描いてただけ」と笑って話しますが、芸人としての独特な感性や観察力は、この頃の絵画経験からも育まれたのではないでしょうか。

都築拓紀の中学校時代 ~ ムードメーカーで野球少年

出身中学校:茨城県 龍ヶ崎市立中根台中学校

都築拓紀さんが通っていたのは、地元・茨城県龍ケ崎市にある「龍ヶ崎市立中根台中学校」です。

1995年開校のやや新しい中学校で、地元では「中根台中」や「根中(ねちゅう)」の愛称で親しまれています。

明るさは変わらず、クラスの中心に

小学校時代と同じく、中学時代も都築拓紀さんはクラスのムードメーカー的な存在でした。

よくしゃべり、よくふざける。周りを明るくするエネルギーは健在でした。

ただその一方で、自己主張が強く、敵を作りやすい性格でもあったと本人が話しています。

特に先生との関係では「反発ばかりしていた」「生意気だった」と振り返っており、今の落ち着いた脱力系キャラとはまた違った一面が見えます。

野球部で二遊間を守る

都築拓紀さんは、中学では野球部に所属していました。

ポジションは内野で、ショートやセカンドといった二遊間を守っていたそうです。

技術的にも運動神経が良く、足も速かったとのこと。

特にセーフティバントからの全力疾走が得意技だったそうです。

ただ、後年ラジオで話されたエピソードでは、当時の二遊間コンビの相棒の結婚式に呼ばれなかったという少し悲しい思い出も。

本人は冗談まじりに話していましたが、当時の人間関係が少し複雑だったことがうかがえます。

「がんばる太郎」さんは中学の先輩

同じワタナベエンターテインメント所属の芸人「つばめ花火・がんばる太郎」さんは、都築拓紀さんの中学校の先輩にあたります。

がんばる太郎さんは1991年生まれで都築さんより6歳年上。

直接一緒に通っていた時期はありませんが、まさかの「中学の先輩が芸人の後輩」という関係に都築さん自身も驚いたそうです。

都築拓紀の高校時代 ~ 「嫌われ者」から「好かれる人」へ

出身高校:千葉県立印旛明誠高等学校(偏差値48)

都築拓紀さんは茨城県から通える千葉県印西市の公立高校「印旛明誠高校」に進学しました。

偏差値は48程度と標準的な高校ですが、野球部は古豪で、甲子園準優勝経験のある名門校。

都築さんもこの高校で野球部に所属していました。

野球部ではバントと走塁が武器に

高校でも都築拓紀さんは引き続き野球部に在籍。

ポジションは中学時代と同じく、内野手が中心だったようです。

セーフティバントからの全力疾走が得意だった」と話しており、スピードと頭の使い方に長けたプレースタイルだったことがわかります。

「学校中の嫌われ者」?文化祭トラブル

笑顔の都築拓紀

都築拓紀さんの高校時代で印象的なのが、文化祭での「手柄横取り」エピソードです。

高校2年の文化祭で、クラスメイトが「ストップモーションムービー」という地味だけど手の込んだ企画を提案。

ところが、そのクラスメイトをあまり良く思っていなかった都築さんは、はっきりと反対意見を出したそうです。

それなのに、結果的にその企画は「企画賞」を受賞

表彰状をもらう場面では、なぜか都築さんが立ち上がって代表として受け取ってしまったという、ちょっとした珍事件が起こりました。

その時、企画を出したクラスメイトの目は”殺意のこもった目”だった」と本人はラジオで話しています。

それ以降、都築さんは「学校中の嫌われ者」になった——と自分では言っていますが、実際にはそこまでひどい扱いを受けていたわけではなく、「自分でも反省して笑い話にできる程度のトラブル」だったようです。

担任の先生に「お笑い芸人になれば?」と背中を押される

そんな都築拓紀さんにとって、人生を変える言葉をかけてくれたのが高校2年時の担任の先生でした。

「お前は喋るのが上手いし、面白い。芸人に向いてると思うぞ」と勧めてくれたことが、都築拓紀さんの「お笑い芸人を本気で目指すきっかけ」となりました。

都築さんはこの言葉を真剣に受け止め、それまで敵意や反発心でいっぱいだった周囲との関係にも、変化が生まれ始めます。

「高校の160人全員を味方にしよう」という決意

お笑いの道に進むと決めた都築拓紀さんは、こう考えるようになったそうです。

お笑い芸人になるということは、日本中の人に好かれなきゃいけない。だったら、まずは高校にいる160人全員を味方にしなきゃダメだ

そうして、それまで距離を置いていたクラスメイトや苦手な人たちとも、少しずつ仲良くなっていく努力を始めたのです。

いや、高校のときに「芸人になる」って決めてからですね。学校内にも僕のことをよく思ってない人が多かったし、敵も作りやすいタイプだったんです。でも、あるとき「お笑い芸人になるなら日本中の人を相手にしなきゃいけないんだな」と思って。うちの高校は1学年160人くらいで、だったらまずはここにいる160人、全員味方にできなくてどうする、って。【引用元:クイック・ジャパンウェブ

この変化をきっかけに、周りを見る目、自分を見つめる目が大きく変わっていったといいます。

実用数学技能検定3級を取得

勉強面では特に目立ったエピソードは多くありませんが、都築拓紀さんは高校在学中に「実用数学技能検定3級」を取得しています。

これは中学校卒業程度のレベルで、社会人の一般常識としても役立つ資格です。

乃木坂46・堀未央奈さんが推しメン


高校時代から乃木坂46のファンだった都築拓紀さん。

一押しメンバーは堀未央奈さんで、乃木坂のイベントに通ったりもしていたとのこと。

後藤さんは「ラジオ行かなあかんやろ?」と指摘しますが、都築さんは「乃木坂さんが大好きで、来たら会えるって聞いたんで来ちゃいました」と、乃木坂46に会いたい気持ちを抑えられなかったとのこと。すると、ヒロミさんが「誰が好きなの?」と尋ねると、「酷っすわヒロミさん……」と、誰か1人は選べないと悩む都築さん。しかし、一番好きなメンバーは誰かいるはずだという後藤さんに押し切られる形で、都築さんは堀未央奈さんが推しメンであることを告白。堀さんは、都築さんから推しメンだと明かされて、嬉しそうな表情に。【引用元:coconuts

後に同じグループの西野七瀬さんと共演も果たしており、まさに「オタクの夢」を叶えた形になりましたね。

都築拓紀は大学進学はせず、芸人養成所へ

高校卒業後は大学進学せず、ワタナベコメディスクールへ

都築拓紀さんは、千葉県立印旛明誠高校を卒業後、大学には進学しませんでした

もともと「勉強が好きではなかった」と本人も言っていて、小学6年生のときに母親から
「大学に行く気がないなら、高校卒業までに別の道を考えて」
と背中を押されたことで、早い段階から「大学以外の進路」を考えるようになったのです。

そして2015年、都築さんはワタナベコメディスクール(WCS)22期生として入学しました。

養成所の見学がそのまま入学に?

都築拓紀さんが、養成所入学に至った経緯が少し面白いんです。

本人によれば、

いろんな養成所を見てから決めようと思ってたけど、WCSを見学に行ったら”今から面接してもいいよ”と言われ、その場で受けたら合格しちゃったんです(笑)

と話しており、「なんとなくの流れ」で人生が動いた瞬間だったともいえるでしょう。

都築拓紀:四千頭身の結成とブレイクまで

養成所での出会い:後藤拓実・石橋遼大

WCSで出会ったのが、後に「四千頭身」を組むことになる後藤拓実さんと石橋遼大さんです。

最初は都築さんと後藤さん、そして別の1人によるトリオ「パイプユニッシュ」として活動していましたが、すぐに解散。

その後、後藤さんと2人でコンビを組み直したタイミングで、相方がいなかった石橋さんに声をかけ、3人でトリオを結成することになりました。

この時、石橋さんは芸人を辞めようか悩んでいたそうですが、後藤さんが引き止め、トリオ誕生へとつながったのです。

トリオ名「四千頭身」の由来

トリオ名の「四千頭身」は、WCS時代の授業で行われていた「写真で一言」のネタ中に生まれたもの。

石橋さんがスマホで神龍(ドラゴンボールのキャラ)の画像を後藤さんに送ったところ、後藤さんが
「四千頭身っぽい」
と返したことで、響きの面白さからそのままトリオ名に採用されました。

最初は特に意味もなく名付けられましたが、独特で記憶に残る名前として今ではすっかり定着しています。

養成所ライブで無敗の快進撃

藤井聡太のモノマネをする都築拓紀

藤井聡太のモノマネをする都築拓紀

スクール内で開催されるネタライブでは、初出場で優勝を果たし、その後も連勝記録を更新。

都築拓紀さんは「卒業する頃には解散したかったけど、勝ち続けてたから解散できなかった」と冗談まじりに話していたことも。

しかしその後、卒業と同時にワタナベエンターテインメントに正式所属。

本格的な芸人としての道を歩み始めます。

都築拓紀:芸人としてのキャリアと現在

テレビ初出演:『新しい波24』で注目を集める

四千頭身が一躍注目を集めたのは、2017年に出演したフジテレビの『新しい波24』。

若手芸人をいち早く紹介する番組で、彼らのリラックスした雰囲気のネタが好評を呼び、一気にテレビの世界へ進出しました。

後藤さんの調子が悪くてテンションが上がらない状態でのネタがウケたことが、現在の「脱力系漫才」のスタイル確立につながったとも言われています。

実績も着実に積み上げる

  • 2018年:お笑いハーベスト大賞 決勝進出
  • 2019年:ABCお笑いグランプリ 決勝進出
  • 2019年:冗-1グランプリ 優勝
  • 2021年:R-1グランプリ 準々決勝進出(都築さん個人)

テレビ出演のほか、CM、ラジオ、YouTubeなどメディア露出も急増し、「お笑い第七世代」を代表する存在へと成長していきます。

YouTubeでも人気爆発!

  • 2017年:公式チャンネル「YonTube」開設
  • 2021年:個人チャンネル「四千頭身都築のチャンネル」開設

YouTubeでは、テレビでは見られない都築拓紀さんの素の性格や趣味(古着・神社巡り・カードゲーム)なども見られ、ファン層を広げています。

都築拓紀の学歴・経歴まとめ

区分 内容
小学校 龍ケ崎市立城之内小学校
小学3年で「芸人になる」と宣言。絵画コンクール受賞歴あり。
中学校 龍ケ崎市立中根台中学校
野球部所属。ムードメーカーでクラスの中心的存在。
高校 千葉県立印旛明誠高等学校(偏差値48)
文化祭での「手柄横取り」事件あり。担任に芸人を勧められる。
大学 進学せず
高校卒業後、ワタナベコメディスクール22期生として入学。
芸人デビュー 2015年
WCSで後藤拓実・石橋遼大と出会い「四千頭身」結成。
ブレイクのきっかけ 2017年『新しい波24』出演で注目。
脱力系漫才スタイルが話題に。
主な賞歴 2019年 冗-1グランプリ優勝
2018・2019年 各種お笑い賞決勝進出
YouTube 2017年「YonTube」開設
2021年「四千頭身都築のチャンネル」開設

今後のさらなる活躍にも、注目していきたいですね!

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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