松村沙友理のwikiプロフィール

出典:スポニチ
項目 | 詳細 |
名前 | 松村沙友理(まつむら・さゆり) |
生年月日 | 1992年8月27日 |
出身地 | 大阪府 |
身長 | 164cm |
血液型 | B型 |
趣味 | アニメ、漫画、相撲観戦、熱帯魚 |
松村沙友理の学歴まとめ
学歴段階 | 学校名 | 備考 |
小学校 | 大阪市立聖賢小学校 | 漫画・アニメ好きが開花 |
中学校 | 大阪市立蒲生中学校 | 水泳大会1位、バレーボール部 |
高校 | 大阪桐蔭高等学校(Ⅱ類) | 偏差値64、365日登校の秀才 |
大学 | 進学せず | 浪人中に乃木坂46オーディション合格 |
結論|筑波大学合格の噂は本当?辞退と浪人の理由とは?
- 松村沙友理さんは、看護師を目指して大学受験に挑戦
- 第一志望は大阪大学医学部保健学科、第二志望が筑波大学
- 筑波大学にはセンター試験+高校成績で合格していたという噂があり
- しかし、震災による放射能の懸念や関西志向から進学を辞退した説が有力
- 浪人中に偶然目にした乃木坂46のオーディションに挑戦し、合格
- 大学には進学せず、芸能界の道へと進んだ
それぞれの詳細を見ていきましょう!
松村沙友理は筑波大学に合格も辞退していた?
松村沙友理さんは、高校時代に「看護師になりたい」という夢を持ち、大阪大学の医学部保健学科看護学専攻を第一志望に、筑波大学医学群看護学類を第二志望に受験しました。
夢や目標が特になかった私が、高校生のときに「看護師を目指そう」と考えたのも手に職をつけたかったから、誰かに養われるのではなく自分でちゃんと稼げる女性になりたかったからなんです。その思いは今もずっと変わらない。29歳の私は、恋愛しても、結婚しても、“誰かのもの”ではなく自分の足で立てる女性でありたいなと思っている。【引用元:@BAILA】
当時の筑波大学の看護学類は偏差値57.5(2023年時点)、倍率も13倍という難関でした。
2011年3月11日、彼女が受験する直前に東日本大震災が発生。筑波大学を含む関東・東北の大学では、後期日程の試験が中止されました。
その代わりに、多くの大学がセンター試験+高校の内申で合否を決定するという、異例の対応に切り替わったのです。
その中で「筑波大学には合格していた」という情報がファンの間で広まっていますが、本人は明言していません。
しかし、合格していた可能性は高いとされ、進学を辞退した理由については以下の2つの説が有力です。
松村沙友理が筑波大学を辞退した理由とは?
① 放射能汚染の不安から辞退したという説
筑波大学と福島第一原子力発電所の距離は約190km。車で約2時間半ほどの距離です。
震災後は、放射性物質の飛散により関東地方全体への影響が報道され、特に関西地方に住む人たちの間では不安の声が高まりました。
松村さん自身が「関東の大学に進学するのは不安だった」と語ったわけではありませんが、周囲の環境や家族の意向を考えると、安全面から進学を断念したという判断は現実的とも言えます。
当時はまだ放射能に関する情報が錯綜していた時期。特に医療職志望の松村さんが慎重な判断をしたとしても不思議ではありません。
② 大阪大学を諦めきれず浪人を選んだという説
松村沙友理さんが目指していた大阪大学医学部保健学科看護学専攻(偏差値58)は、関西でもトップクラスの大学です。
関東の筑波大学に合格していたとしても、「本当に行きたかった大阪大学をもう一度目指したい」という気持ちから、浪人を決意した可能性もあります。
松村さんは大阪大学の不合格後、地元の予備校に通いながら浪人生活を送っていたことが分かっています。
乃木坂46のオーディションが転機に!
浪人中に見たポルノグラフィティのファンサイトが、松村沙友理さんの運命を変えます。
そこに偶然掲載されていたのが「乃木坂46第1期生オーディション」の情報。
「受験勉強ばかりの生活で、模試の結果もふるわず、将来に不安を抱いていた」 という中で、気晴らしのような気持ちで応募したと言います。
当初は、
- ダンスも未経験
- 歌にも自信がない
- アイドルになりたい願望もなかった
という状態でしたが、応募総数38,934人の中から見事合格!
後に語ったように、
「まさか自分が受かるとは思っていなかった」「落ちるつもりで受けた」と言いながらも、これを機に芸能界入りを果たしました。
松村沙友理の出身高校:大阪桐蔭高校で培った努力と学力の裏側
松村沙友理さんは、大阪府の進学校として知られる大阪桐蔭高校(Ⅱ類)を卒業しています。
この学校のⅡ類コースは、難関国公立大学を目指す進学クラス(偏差値64〜65)で、生徒の大半が国公立大学進学を目指して日々努力を重ねています。
365日、休まず学校へ通った日々
大阪桐蔭高校では、
- 月〜土曜日まで通常授業
- 日曜日も朝7時から夜8時まで自習室が開放
- 先生たちも日曜に学校に来てくれる という「勉強に打ち込める環境」が整っていました。
松村さんは
- 毎朝の英単語テスト
- 毎夕の数学テスト(終礼時)
- 自習室で朝の勉強+放課後に宿題を終わらせてから帰宅 というルーティンを3年間休まず続けていたそうです。
「お盆もお正月も、毎日学校にいた」というエピソードからも、極めて真面目で努力家だったことが分かります。
周囲から「ガリ勉」と呼ばれ、友達が少なかったとも語っていますが、それだけ受験勉強に本気だった証です。
バレー部で6年間プレー&甲子園応援の裏側
松村沙友理さんは中学〜高校にかけて6年間バレーボールを継続。ポジションはセンター。
実は運動があまり得意ではなかったようですが、バレーは「唯一、人並みにできたスポーツ」とのこと。
また、大阪桐蔭といえば高校野球の名門。
甲子園での応援にも参加していましたが、当時の松村さんは…
「応援席でこっそり単語帳を開いて勉強していた」とコメント。
大阪桐蔭は甲子園によく出場する学校だったので『(友達から)アルプス席の応援、いいな』って言われてたんですけど、進学校で夏休みが2週間しかないのに宿題が大量に出るんですよ」と夏の甲子園の時期は宿題に追われて応援どころじゃないことを明かした。しかし、甲子園まで応援に行かないと欠席扱いになるため、「華やかに応援しているふりをして、単語帳を見たりして甲子園でもずっと勉強してました」と常連校ならではの苦労を明かした。【引用元:サンスポ】
勉強量の多さ、夏休みの短さ、応援の“強制出席”という環境の中でも、学業を最優先していたようです。
松村沙友理の学歴まとめ|筑波大学を辞退しても、別の道で才能を開花させた
松村沙友理さんは、受験勉強に真剣に取り組み、筑波大学(あるいは大阪大学)進学を目指していました。
しかし、
- 震災による入試の混乱
- 安全面や地元志向の問題
- 夢だった看護師の道に対する不安
- 偶然の出会いで見つけたオーディション
という複数の要素が重なり、結果的に芸能の道へと進むことに。
ただ、そこに至るまでの「努力」や「真面目さ」、「誠実さ」が、アイドル・女優・モデルとしての成功を支える土台になっていることは間違いありません。
松村沙友理さんのこれからにも注目!
現在はモデル・女優・タレントとして活躍する松村沙友理さん。
アイドル時代のキラキラした笑顔の裏には、とてつもない努力と迷いがあったという事実。
それを知ることで、彼女の魅力がさらに深く感じられるのではないでしょうか。
これからの活躍にも注目です!
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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