テレビや映画でその姿を見かけることが増えてきた、俳優の坂東龍汰(ばんどう りょうた)さん。
透明感のあるビジュアルと、どこか“野性”と“アート”の両方を感じさせる不思議な魅力は、今の若手俳優の中でも独特な存在感を放っています。
そんな坂東さん、実は幼少期から18歳まで、かなり個性的な教育環境で育ってきた人物。

この記事では、坂東龍汰さんのルーツとも言えるシュタイナー教育の学校での学びや学生時代のエピソードをたっぷりご紹介します。
坂東龍汰のプロフィール
まずは基本情報を押さえておきましょう。
- 名前:坂東龍汰(ばんどう りょうた)
- 生年月日:1997年5月24日
- 出身地:アメリカ・ニューヨーク(北海道育ち)
- 身長:175cm
- 血液型:O型
- 所属事務所:鈍牛倶楽部
- デビュー:2017年、テレビドラマ『セトウツミ』で俳優活動をスタート
坂東さんは、帰国子女ながら“バリバリの都会育ち”というわけではなく、雄大な北海道の自然の中で、のびのびと、しかしかなり特異な教育方針のもとで育ってきた人物です。
坂東龍汰の学歴一覧(小学校〜高校まで一貫教育)
学歴 | 学校名 | 補足 |
大学 | 進学せず | 高校卒業後すぐに俳優の道へ |
高校 | いずみの学校高等学園(NPO法人) | シュタイナー教育を導入 |
中学校 | いずみの学校中等部(学校法人) | 高校と同じ敷地・一貫校 |
小学校 | いずみの学校初等部(学校法人) | 幼少期からシュタイナー教育一筋 |

それぞれの詳細を見ていきましょう!
坂東龍汰の出身小学校:シュタイナー学園いずみの学校初等部
場所:北海道虻田郡豊浦町
坂東龍汰さんが通っていた「いずみの学校初等部」は、北海道の自然に囲まれた場所にある私立小学校です。
この学校は、日本で数少ない「シュタイナー教育」を取り入れた一貫教育校として知られています。
シュタイナー教育とは、オーストリア出身のルドルフ・シュタイナーの思想に基づいた教育方法の総称です。教育や芸術、医学などの各界に影響を与えたシュタイナーは知的な学習だけではなく、感情や意志に働きかける総合芸術としての教育を重視しました。【引用元:ほいくらし】
教科書もなければテストもなく、評価も点数ではなく“成長の過程”を見守るスタイル。

「学ぶこと=楽しむこと」という発想のもと、子どもの内側にある興味や好奇心を最大限に引き出すことを大切にしているのが特徴です。
家族構成と家庭環境
坂東さんは5人家族で、両親・姉・弟と暮らしていました。
父はなんと元・映画監督志望、そして後に歯科技工士、さらに現在は農場経営者とワイン醸造家という異色の経歴を持つ人物です。
- 父:坂東剛さん
└ カリフォルニアで映画の道を目指す → 挫折 → 歯科技工士 → ニューヨークで起業 → 突然の帰国&農業転身 - 母:陶芸家として活動しつつ、夫のワイン造りをサポート
そんな“自由すぎる父”の影響もあり、坂東さんは自身の育ちを「普通が何か分からない家庭だった」と笑いながら語っています。
僕は小学校から高校までシュタイナー教育の学校に通っていたので、テレビやゲーム、インターネットに触れることを禁止されていたんです。ただ、父が無類の映画オタクで、「映画はいいんじゃないか」と中2ぐらいから、毎週土日はレンタルビデオ屋に行って、映画を1本借りて観ることが許されました。それが、すごい楽しみでしたね。【引用元:CREA】
小学生時代のエピソード
- クラスメイトはたった9人。初等部から高校卒業まで、ずっと同じ顔ぶれ。
- 絵を描くことが大好きで、油絵を学び始めたのもこの頃。
- さらに乗馬も経験。北海道の広大な自然を生かした活動が多かった。
自然の中で、競争に追われず、アートに触れ、のびのびと育った日々。

この時期に育まれた“感性”こそ、今の坂東さんの俳優としての個性にしっかりと根を張っているようです。
坂東龍汰の出身中学校:シュタイナー学園いずみの学校中等部(偏差値なし)
中学もそのまま、いずみの学校中等部へ進学。
ここでもシュタイナー教育の方針は一貫しており、「学び=自己表現」「点数ではなく過程を大切にする」が徹底されていました。
この中学校は、文部科学省の認可を受けた学校法人で、中学卒業資格は取得可能。

ただし、偏差値という概念はなく、順位もありません。
中学時代の坂東さん
中学時代はすでに演劇のカリキュラムに触れており、小学生時代から続く“表現の楽しさ”にどんどん引き込まれていきました。
- 世間とのギャップを感じたのもこの頃
⇒ 「中学に上がるまで、テレビやゲームがないのが“当たり前”だと思っていた」と語るエピソードも。
テレビもゲームも携帯も禁止。教科書やテストはなく、順位や点数で評価されることもありません。勉強を頑張る子もいれば、芸術的な分野に集中する子も。無理に学ばせることはなく、その子の潜在的に好きなこと、興味のあることを追求できる。うちは親も徹底していたので、家でもシュタイナー思想が浸透していて、中学に入るまで、それが世間の人と違うことも知らなかったんです。【引用元:FIGARO】
また、シュタイナー教育では基本的に電子機器の使用は禁止。
ですが、坂東家では特例として「週に1本だけ、父と一緒に映画を観ること」が許されていたそうです。
映画オタクの父親が選ぶ作品たちは、黒澤明やヨーロッパ映画、社会派の作品など…

中学2年から始まった“毎週末の映画タイム”が、坂東少年の感性に火をつけていくことになります。
坂東龍汰の出身高校:シュタイナー学園いずみの学校高等学園(NPO法人)
所在地:北海道虻田郡豊浦町
坂東龍汰さんが通った高校は、「いずみの学校高等学園」。
こちらも小・中学校と同じ敷地にあるシュタイナー教育の一貫校ですが、運営母体がNPO法人であるため、“卒業=高卒資格”とはなりません。
そのため、卒業生は通信制高校と並行して通ったり、「高卒認定試験(旧大検)」を受ける必要があります。
坂東さんもいずれかの方法で、俳優になる前に高校卒業資格を取得したと考えられます。
シュタイナー教育とは?

ルドルフ・シュタイナー
シュタイナー教育は、オーストリアの哲学者ルドルフ・シュタイナーが提唱した“全人教育”。
学力偏重ではなく、「意志・感情・思考」のバランスを育むことを目的とし、アートや身体表現を重視します。
- 教科書なし。自作のノートが「自分だけの教科書」
- テストや通知表なし。点数評価も順位も存在しない
- 興味関心を尊重し、子ども自身の“内なる衝動”を引き出す
これらは、ただ“自由な学校”という意味ではありません。

ゲーム・テレビ・スマホは禁止。外部との接触は極端に少なく、そのぶん人間の感性そのものと向き合う時間が圧倒的に多いのです。
高校生活のエピソード
高校では、寮生活をしていた坂東さん。
クラスメイトは小学校時代からの仲間がそのまま継続。9人程度の小さなクラスで、家族のような関係性の中で学び、笑い、ぶつかり合い、成長していきました。
社交ダンス部を自ら創設
体育の授業で初めて出会った「社交ダンス」に心を奪われた坂東さんは、なんと学校に社交ダンス部を創ってほしい!と直談判。
そしてそのまま部員第1号として活動をスタート。
北海道大会に出場し、見事3位入賞を果たしています(参加は5組だったそうですが、それでも立派!)。
「リズムに合わせて体を動かす楽しさ、姿勢の美しさ、そして人前で踊る“表現の快感”」
この体験が後の俳優活動にもリンクしてくるのです。
『春に散る』のボクシング練習で、ダンスとの共通点(姿勢・重心・身体の使い方)を実感した
と語っているインタビューもありました。
ニュージーランドへの短期留学
高校2年のときには、ニュージーランドへ短期交換留学も経験。
異国の地でもその“人懐っこさ”と“表現力”で人気者に。
「前のめりすぎる留学生」として学年の枠を超えて多くの友人に囲まれ、楽しい時間を過ごしたそうです。
「あの時、自分ってこういう人間なんだと気づけた」
と本人は振り返っています。
芝居との本格的な出会い|卒業公演が人生の転機に
坂東さんが「俳優になろう」と決意する最大のきっかけとなったのが、高校の卒業演劇。
作品は、イプセン作『民衆の敵』。
主人公トマス・ストックマンを演じ、ほぼ一人で語り続ける大役を務めました。
膨大なセリフ、心の葛藤、人間の弱さや信念…そのすべてを自分の体を使って表現するというのは、まさに“修行”のような日々。
でも、迎えた本番で観客の反応を肌で感じた瞬間、「あの感情は忘れられない」と語っています。
「自分が何かを表現することで、誰かの心に何かを残す。これしかないと思った」
まさにこの舞台が、坂東龍汰という表現者が生まれた“原点”でした。
その他のアート体験も豊富
- 卒業制作でクレイアニメーションを自主制作(約22分)
人形・音楽・背景・演出すべてを一人で制作
タイトルは『目の雫』。戦争に行く若者のストーリー
- 映画研究部で自主映画を制作
- ギター・バイオリン・油絵などの多才な芸術活動
- 登下校でも常にカメラを持ち歩いていた

このような体験のすべてが、演技という表現に一本化された今も、坂東さんの内面にしっかりと根を張っています。
坂東龍汰は大学には進学せず|“俳優一本”で生きていく決意
高校卒業後、坂東龍汰さんは大学には進学しませんでした。
俳優になるという夢を叶えるため、真っ直ぐにその道を選んだのです。
卒業からわずか2週間後に北海道を離れ、兵庫県・有馬温泉の旅館で住み込みバイト。
1年間働いて上京資金100万円を貯めたといいます。
上京直後は、あまりの都会の空気にカルチャーショックを受け、心が折れそうになったことも…。
でも、かつてシュタイナー教育で出会った先輩俳優・村上虹郎さんに相談し、彼の紹介で現在の事務所「鈍牛倶楽部」に所属することが決定。

そして、20歳で俳優デビューを果たすのです。
俳優デビュー後の活躍
- 2017年:テレビドラマ『セトウツミ』でデビュー
- 2018年:映画『EVEN〜君に贈る歌〜』で映画初出演
- 2020年:『弱虫ペダル』に出演。鳴子章吉役が話題に
- 2022年:『フタリノセカイ』で映画初主演、新人男優賞受賞
- 2024年:主演舞台『う蝕』など、演劇分野でも活躍中
坂東龍汰の学歴まとめ|“唯一無二”を育んだ青春時代
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舞台「ベイジルタウンの女神」について取材をして頂きました!
是非、お手に取ってご覧ください🤲#ACTIMAGE #ベイジルタウンの女神
【by staff】 pic.twitter.com/RCIln0rcrR— 坂東龍汰 Ryota Bando (@bando_ryota) February 11, 2025
坂東龍汰さんの学歴や経歴を追っていくと、「学歴」という言葉の枠を軽々と飛び越えるような、“人間そのものの物語”に出会えます。
自然の中で育ち、数字に縛られず、表現と感性をとことん磨き、やりたいことに全力で挑む。
そんな坂東龍汰さんの生き方は、これからの時代を生きる私たちにも、どこかヒントを与えてくれるような気がします。
俳優・坂東龍汰。
その深みと自由さのルーツは、間違いなく“シュタイナー教育の18年間”にあるのです。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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