俳優・音楽家・映像作家と、多方面で活躍を広げている手塚日南人(てづか・ひなと)さん。
その名を聞いて「どこかで聞いたことある」と思った方も多いのではないでしょうか?
そう、手塚日南人さんは名俳優・真田広之さんと女優・手塚理美さんの息子。
しかし手塚日南人さん自身の人生は、決して親の名声に頼ったものではなく、学び・挫折・挑戦を繰り返しながら、自らの力で築いてきたものです。

今回は、そんな手塚さんの学歴や語学力、学生時代のエピソードを通して、手塚さんの「努力と表現の軌跡」に迫ってみます。
手塚日南人のwikiプロフィール
項目 | 内容 |
名前 | 手塚日南人(てづか・ひなと) |
生年月日 | 1995年6月12日 |
出身地 | 神奈川県横浜市日吉 |
身長 | 161cm |
言語 | 日本語・英語・スペイン語 |
職業 | 俳優・音楽家・映像作家 |
父 | 真田広之(俳優) |
母 | 手塚理美(女優) |
手塚日南人の学歴まとめ
学歴段階 | 学校名 | 備考 |
小学校 | 目黒区立緑ケ丘小学校(※転校) | ブラスバンドに所属。ドラム・トロンボーンなどに挑戦。音楽との出会い |
小学校(前) | 大田区立梅田小学校 | 低学年時に通っていたが途中で転校 |
中学校 | 東京農業大学第一高等学校中等部 | 偏差値69~72。生徒会長、成績トップ3、奨学金受給。英検2級合格 |
高校 | 東京農業大学第一高等学校 | 中高一貫校。文化祭でリーダー的存在。バンド活動に没頭 |
大学 | 早稲田大学 国際教養学部(中退) | AO入試合格。スペイン語専攻、スペインに留学。表現の価値観が変化 |

それでは、それぞれの時代ごとのエピソードを詳しく見ていきましょう。
手塚日南人は早稲田大学国際教養学部にAO入試で合格!偏差値70の名門
手塚日南人さんは、早稲田大学国際教養学部にAO入試で合格しています。
この学部は、偏差値70のハイレベルな英語重視型学部で、授業の多くが英語で行われ、留学も必須です。
グローバルな価値観と実践力が求められる学部で、入学には「学力以上に人物的魅力やビジョン」が重視されます。
そんな中、手塚さんは見事合格。ここからも、単なる“芸能人の子ども”ではない、自らの資質で道を切り拓く力が見えてきます。
■ 在学中の学び
・スペイン語・文化を専攻
・スペインへ長期留学
・多文化理解と表現力を培う
大学では、スペイン語を専攻し、スペインに1年間留学。現地の人々との交流やアート・音楽に触れる中で、
「自分らしさこそが価値になる」
という生き方のヒントを得たと語っています。

帰国後、手塚日南人さんは“ある決断”を下します。
「大学中退」は挫折ではなく、表現のスタートラインだった
スペインから帰国した手塚日南人さんは、大学を中退します。
「えっ、せっかく早稲田に入ったのに?」と感じるかもしれませんが、手塚さんにとっては本当にやりたいことに向かう決断でした。
音楽と映像制作の道へ進むため、大学生活に区切りをつけたのです。
その後はしばらく、ペンキ屋として働きながら、音楽活動に没頭する日々を過ごします。

誰かに決められた「成功のレール」ではなく、自分の感性に正直な人生を選んだその姿勢に、むしろ強い意志と覚悟を感じます。
手塚日南人:中高一貫は「東京農業大学第一高等学校・中等部」成績は常にトップ3!
手塚日南人さんは、中学受験で東京農業大学第一高等学校中等部に合格し、そのまま高校に内部進学しています。
この学校は偏差値69〜72の難関進学校で、生徒の多くが難関大学を目指すような学習環境です。
手塚日南人さんはその中でもトップ3に入る成績を収め、奨学金を受けていたほどの秀才。
得意科目は英語で、中学時代に英検2級(高校卒業レベル)を取得しています。
■ 中高時代の活動
・生徒会長を務める
・バンドでギターボーカル担当
・イベントの企画リーダー
学業だけでなく、行事のまとめ役やバンド活動にも熱中。文武両道ならぬ、「文芸両道」の青春を送っていました。

しかしそんな優等生の手塚日南人さんにも、大きな心の揺らぎが訪れます。
高3のときに“家出”。パン3つだけで3日間生き延びた理由
高校3年のある日、手塚さんはふと
「自分はなぜこのレールの上を走っているんだろう?」
と疑問を抱いたといいます。
そして、なんとお金を一銭も持たずに家出を決行。
所持品は、リュックとパン3個だけ。
3日間、本屋と図書館をひたすら渡り歩いて過ごしたそうです。
その時間の中で手塚日南人さんは、「意味なんて後からついてくる」「自分の“好き”を信じて生きよう」と気づきます。

この経験は後に、大学中退や芸術の道を選ぶ「精神的な背骨」になっていきます。
手塚日南人は小学生時代から音楽に親しむ:転校とブラスバンド
手塚日南人さんの小学校は「目黒区立緑ヶ丘小学校」ですが、元々は「大田区立梅田小学校」に通っていました。
当時から音楽への興味は強く、学校のブラスバンドでドラムやトロンボーンを演奏していたそうです。
家庭では、母・手塚理美さんが音楽活動も行っていたこともあり、日常の中に自然と音楽があったのでしょう。

芸術一家に生まれ、表現の芽はすでにこの頃から芽吹いていたのかもしれません。
英語・スペイン語も堪能なマルチリンガル
中学で英検2級に合格していた手塚さんは、その後も英語力を磨き続け、大学ではスペイン語も習得。
現在では、英語・スペイン語の両方を話せるトリリンガル。
演劇でも語学でも、国際的なフィールドに進む準備はすでにできているといえます。

今後は、日本だけでなく、世界を舞台に活動する姿もきっと見られるはずです。
ネイチャーガイドから俳優へ。倉本聰氏との出会いが人生を変える
大学を中退後、手塚日南人さんは北海道・白老町に移住。
アイヌ文化を伝えるネイチャーガイドとして活動を始めます。
この期間、人と自然、歴史と向き合う時間の中で、また新たな表現欲が芽生えていったのでしょう。
そして2023年、富良野で行われた倉本聰氏の舞台オーディションを受け、最初は落選するも、
照明係として参加予定だったところを、倉本氏の目に留まり俳優として起用。

舞台『悲別』で、ついに俳優としての第一歩を踏み出しました。
彼はこれまで、北海道でネイチャーガイドや町おこしに携わっていたが、昨年、俳優への転身を決断。初舞台の際には真田に連絡をしたという。日南人が振り返る。
「父は『自分の道だから、自分のやりたいことをやれ。何かあれば相談に乗るから』と言ってくれました。これまであまり相談というものをしたことはないんですが…これからは役者をやるわけですから、積極的に頼りたいです。【引用元:NEWSポストセブン】
手塚日南人の学歴まとめ:秀才・表現者・挑戦者
昭和してます pic.twitter.com/jZD7PCKxd6
— 手塚日南人 (@hinatote) March 18, 2025
手塚日南人さんは、間違いなく「親の七光り」を超えて、自分の光を放とうとしている人です。
- 偏差値70の早稲田大学にAO合格する知性
- 英語・スペイン語を操る語学力
- 成績トップ・奨学金受給の実績
- 挫折を通じて見つけた「好きなことをして生きる」という哲学
- 音楽・映像・俳優として多彩な活動
手塚日南人さんの人生は、与えられたものではなく、選び取ったもの。
そして、まだまだ始まったばかりです。
今後の活躍を、ぜひ一緒に見届けていきましょう!

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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