松坂桃李の学歴まとめ【プロフィール付き】
松坂桃李 プロフィール
名前 | 松坂 桃李(まつざか とおり) |
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生年月日 | 1988年10月17日 |
出身地 | 神奈川県茅ヶ崎市 |
身長 | 183cm |
血液型 | A型 |
職業 | 俳優、モデル |
所属事務所 | トップコート |
活動開始 | 2008年〜 |
配偶者 | 戸田恵梨香(2020年〜) |
松坂桃李 学歴まとめ一覧表(大学・高校・中学・小学校)
学校名 | 所在地 | 偏差値 | 備考 |
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産業能率大学 経営学部 | 東京都世田谷区 | 45〜50 | 大学2年で芸能界入り、後に中退 |
相洋高等学校 | 神奈川県小田原市 | 48 | 中学の友人がいない環境に飛び込むためあえて選択 |
茅ヶ崎市立松浪中学校 | 神奈川県茅ヶ崎市 | 偏差値なし(公立) | バスケ部所属、漫画『SLAM DUNK』に影響を受ける |
茅ヶ崎市立松浪小学校 | 神奈川県茅ヶ崎市 | ― | 4年生から転校。いじめ経験をきっかけに |
茅ヶ崎市立東海岸小学校 | 神奈川県茅ヶ崎市 | ― | 最初に通っていた小学校。名前が原因でいじめられた経験あり |

松坂桃李さんの学歴詳細をそれぞれ見ていきましょう!
松坂桃李の大学はどこ?【産業能率大学・経営学部】
進学理由は「なんとなく」だった?進路への迷い
俳優の松坂桃李さんが通っていた大学は、東京都世田谷区にある産業能率大学の経営学部です。
経営やマネジメントを専門とする私立大学で、「産能大」という愛称で呼ばれています。
偏差値は45~50くらいで、社会ですぐに役立つ実践的な授業が多く、グループワークや発表型の授業も充実しています。
松坂さんが通っていたのは1~2年生のときの「自由が丘キャンパス」。
東京のおしゃれな街・自由が丘にあり、落ち着いた雰囲気と都会の刺激が混ざる魅力的な場所です。

ファッション雑誌やカフェがたくさんある街で、後にモデルとして活躍する松坂さんの感性を育てたかもしれません。
大学時代は普通の学生生活。でも満たされなかった日々
産業能率大学に進学した理由は、はっきりとした夢があったからではありません。
松坂桃李さん自身、大学時代のインタビューで「将来何がしたいか分からなかった」「なんとなく進学した」と話しています。
進学のきっかけは、当時ハマっていたドラマ『オレンジデイズ』のようなキャンパスライフに憧れたという、ちょっとミーハーな気持ちもあったようです。
大学ではアルバイトを掛け持ちし、飲食店やスーパー、コンビニの夜勤など、地道な仕事を頑張っていました。
イケメンだからといって派手な仕事をしていたわけではなく、普通の日常を送っていたのが印象的です。
でも、その頃の松坂桃李さんは「なんだか満たされない」「自分のやりたいことが見つからない」という気持ちも抱えていたようです。

自由な時間はあるのに、その時間をどう使えばいいのか分からない。そんなモヤモヤした大学生活の中で、松坂桃李さんの人生を大きく変えるチャンスが訪れます。
人生を変えた『FINEBOYS』モデルオーディション

松坂桃李が表紙のFINEBOYS
松坂桃李は大学2年生のとき、友達から「ファッション誌のモデルオーディション受けてみたら?」と声をかけられます。
それが、男性向け雑誌『FINEBOYS』のモデルオーディションでした。
本人は「ちょっと面白そうだから」「記念に受けてみよう」くらいの気持ちだったようで、特に芸能界に憧れていたわけではありません。
最終審査では、他の参加者がギターの弾き語りや特技を披露する中、松坂さんは”ドナルドダックのモノマネ”という変わった特技を披露します。
場の雰囲気に合わず、本人も「完全に落ちたと思った」と言うほどでした。
ところが結果はなんとグランプリ!
飾らない姿勢と素直な雰囲気が審査員の心をつかんだのかもしれません。

このことがきっかけで、松坂桃李さんの人生は大きく変わります。
俳優デビューと大学中退|家族との衝突と“覚悟”の決断
モデルデビューからすぐに、松坂桃李さんはテレビ朝日の特撮ドラマ『侍戦隊シンケンジャー』の主役・シンケンレッドに選ばれます。
いきなり主役で、しかも撮影は朝早くから夜遅くまでという大変なスケジュール。
大学との両立は難しくなり、最初は「休学」という形を選びました。
大学を休学する時は、父親にガチギレされたようです!
松坂 あー…僕は大学2年くらいでこの仕事を始めて、最初の1年以上が拘束時間の異様に長い戦隊(スーパー戦隊シリーズ『侍戦隊シンケンジャー』主演)だったんです。大学も休学せざるを得ず、ひとり暮らしになり…と急に環境がガラっと変わったとき、父がマジでキレて…(笑)。【引用元:BEST TIMES】
最初のうちは、ただ与えられた役を演じるだけで、演技に対する情熱はまだ強くなかったそうです。
しかし、作品を通してだんだん「演技って面白い」「もっと深く演じたい」と感じるようになり、「この道で頑張っていきたい」という気持ちが強くなっていきました。
結局、松坂さんは復学せずに大学を中退します。
両親、特に父親は大反対で、「大学をやめるなんて何を考えているんだ!」とこれまで見たことがないほど怒ったそうです。
当時のインタビューでは、「親と大げんかして、気まずくて家も出た」と正直に話しています。
でも、「人生で一番大きな決断だったけど、後悔はしていない」とはっきり言う松坂さん。

その選択が、今の俳優としての成功につながっているのは間違いありません。
大学生活が演技力の基礎に?“人間力”の源になった経験
一見「中退=失敗」のように見える選択ですが、松坂桃李さんの大学時代は、間違いなく松坂さんの”土台”になっています。
バイトを通じて社会の厳しさや人との関わり方を学び、やりたいことが見つからずに悩んだ日々が、今の表現力や人間味のある演技につながっているのです。
松坂桃李さんは後に、「大学生活で得た一番大きな収穫は”話す力”だった」と語っています。
友達との雑談、バイト先での会話、小さなやりとりの積み重ねが、役者としての”会話力”や”空気を読む力”に変わったのです。
俳優・松坂桃李の人間性が多くの人に支持される理由は、こうした普通の経験があるからこそ。

中退という選択も、夢を本気で追いかけた証ですね!
松坂桃李の出身高校は相洋高校!偏差値と青春の記録
相洋高校を選んだ理由は「人間関係をリセットしたい」から
松坂桃李さんが通っていた高校は、神奈川県小田原市にある私立・相洋高校です。
偏差値は学科によって違いますが、松坂さんが通っていたと思われる普通科は偏差値48くらいでやや易しめ。
でも、勉強もスポーツも頑張る大きな学校で、スポーツが強い高校としても知られています。
実家がある茅ヶ崎市からは決して近くない小田原の高校を選んだのには理由がありました。
中学時代の松坂さんは「目立たなくて人見知りなタイプ」で、同じ環境で高校生活を送ることにモヤモヤしていたそうです。
「誰も知ってる人がいないところに行って、自分を変えてみたかった」
そんな思いから、あえて知り合いのいない環境=相洋高校を選んだそうです。

人見知りを克服したい、環境を新しくしたいという前向きな決断が、高校生活のスタートでした。
部活は不参加、その代わりアルバイトとファッションに夢中
中学時代はバスケットボール部の主力選手として活躍していた松坂さんですが、高校では部活動には入りませんでした。
その理由はシンプル。
「坊主頭にしなきゃいけないのが嫌だったんです(笑)」
というちょっとかわいらしい理由です。
その代わりに力を入れていたのがアルバイトとオシャレでした。
居酒屋やスーパー、コンビニなど、学生でもできる身近な仕事をいろいろこなし、そのバイト代の一部(なんと約4割!)はお母さんに渡していたという親思いのエピソードも。
松坂さん自身、「家計を助けるというより、恩返ししたかった」と話しています。
そしてもうひとつ、高校時代の特徴といえるのが「ファッションへの興味」。
お姉さんの影響でオシャレに興味を持ち始めた松坂さんは、高校1年生の時にアルバイトで初めて自分で買ったのが”ピチピチのスキニージーンズ”。
「これで高校デビューだ!」と意気込んで買ったけど、自転車がこげなくなるほどぴったりすぎたとか(笑)
オシャレに不器用ながらも一歩踏み出した”青春らしい失敗談”がまた微笑ましいですね。
高校は相洋高校に進学した。高校時代からスーパーの青果コーナー、定食屋、居酒屋などのアルバイトをこなし、その経験は現在の自分に生きている。「お金を稼ぐことの重みを実感しました。今、めまぐるしい日々でもぶれずにいられるのは、当時の経験のおかげ」。【引用元:タウンニュース】
学校では地味キャラ。「チョコは全部義理だった」
今の華やかなイメージとは違って、松坂さんは高校時代について「地味な生徒だった」と明かしています。
クラスの中心にいるタイプではなく、輪の中にそっといるような、穏やかで控えめな性格。
大きな声で話すタイプでもなく、自分から前に出ることはあまりなかったそうです。
「クラスの中心メンバーではなくて、その周りにいる普通の一人って感じだったと思います」
バレンタインデーにチョコをもらったことはあるけど、それは全部”義理チョコ”。
モテモテなエピソードはほとんどありません。
でも、その”自然体”こそが、周りからの好感度の源だったのかもしれません。

学校生活で無理をせず、どこか肩の力が抜けた松坂さんの姿は、後の「親しみやすい俳優像」につながっているように思えます。
高校3年で担任が芸能界をすすめる。これが人生の転機に
そんな松坂さんですが、高校3年の進路相談で、担任の先生から驚くような言葉をかけられます。
「君、芸能界に向いてるんじゃないか?」
まさかの”芸能界スカウト”が先生から。
これにはお母さんが大激怒したそうで、家庭内でも大きなもめごとになったとも語っています。
しかしその言葉が、後のモデルオーディション受験へとつながっていくきっかけになったのは間違いありません。
進路選びに悩み、将来に明確な目標がなかった高校3年生の松坂さんにとって、担任の一言は「人生を変える種」だったのでしょう。
【青春の思い出】好きな子と江ノ島までサイクリング!
高校時代の松坂さんには、甘酸っぱい思い出もあります。
地元・茅ヶ崎から自転車で江ノ島まで出かけたある日のこと。
なんとその時、一緒にいたのは「当時、好きだった女の子」。
江ノ電の踏切を見ながら、「ここがスラムダンクのオープニングの場所か…」と感動していたそうです。
バスケ部に入らなかった高校時代でも、やはり『SLAM DUNK』への憧れは強く残っていたのかもしれません。

青春の海風と、淡い恋の記憶が混ざった、素敵な思い出ですね。
松坂桃李の中学校時代|バスケと恋と憧れの先輩・松浦亜弥
茅ヶ崎市立松浪中学校に進学|公立中でのびのびと
松坂桃李さんが通っていた中学校は、地元・神奈川県茅ヶ崎市にある公立校「茅ヶ崎市立松浪中学校」です。
偏差値は公立校のため設定されていませんが、地域に根差した落ち着いた学校です。
この中学校には、実は有名な先輩がいます。
歌手の松浦亜弥さんです。
松坂さんとは2学年上で在学期間が重なっており、当時、すでに芸能活動をしていた松浦さんのことを「歩くたびにキラキラした雰囲気が残ってた」と語るなど、彼女の”スター性”に圧倒されていたようです。
中学1年生の頃、勇気を出して松浦さんにサインをお願いした松坂さん。
しかし返ってきたのは、「事務所からダメと言われているのでごめんなさい」というやんわりとした断り。
そのときの出来事を、今でもよく覚えていると語っています。
学校で見かけた松浦について「ああ、スターってこういう輝き方をするんだなと。歩くたびにキラキラしたものが残り香のように残っていくというか。中学1年生の時に、サインをもらいに行ったんですが、やんわり断られました。『すいません。事務所が…』と」と苦笑いした。【引用元:moviewalker】
バスケ部で“反発と絆”を学んだ日々
中学時代、松坂さんはバスケットボール部に所属。
漫画『SLAM DUNK』の影響を受け、特にキャラクターの「三井寿」に憧れていたそうです。
チームでは主力メンバーとして活躍していましたが、部活は決して順調ではありませんでした。
当時の顧問は非常に厳しく、シュートを外せば怒鳴られるのは当たり前、時には手を上げることもあったとのこと。
そんな指導法に耐えかねて、松坂さんたち部員は顧問に退部届を一斉に出す作戦を決行します。
しかし、たった1人だけ、退部届を出さなかった部員がいました。
その子が一人で体育館で練習を続けている姿を見て、心を打たれた松坂さんたちは考えを改め、顧問に謝罪し、部活に戻ることを決めます。
「あの経験が、今思えば”集団の中で行動すること”を考えるきっかけになった」
このように語る松坂さん。

中学時代に身をもって学んだ”反発・後悔・許し”は、演技において他人の気持ちを想像する上でも大切な基礎になっているのかもしれません。
青春のほろ苦い恋|二股をかけられて不良に怒られる!?
中学2年生の頃には、人生初の告白も経験しています。
相手は先輩の女子。
見事OKをもらい、交際が始まりますが……それは甘くて苦い恋の始まりでした。
実はその先輩は、すでに他に彼氏がいたのです。
しかも相手は地元でも知られる不良グループのリーダー格。
ある日突然、松坂さんはその男子に呼び出されます。
「お前、俺の彼女に手を出してるらしいな」
青ざめた松坂さんは、必死に謝ってその場を乗り切ったそうですが、この出来事は今でも”青春の黒歴史”として記憶に残っているようです。

笑い話のように語っていますが、当時の本人はとてもショックだったことでしょう。
小学校時代は”名前”が原因で転校も経験|出身は茅ヶ崎市立東海岸小→松浪小
松坂さんが最初に通っていた小学校は「茅ヶ崎市立東海岸小学校」。
海からほど近い場所にあり、自然の中でのびのびと学べる公立校です。
しかし、幼い頃に大きな試練が訪れます。
「桃李(とおり)」という珍しい名前が理由で、いじめを受けてしまったのです。
無視されたり、教科書を隠されたり、机に落書きされたり……。
今では考えられないようなことが、小学生の松坂さんに起こっていました。
そのため、小学4年生のときに、茅ヶ崎市内の「松浪小学校」へ転校することになりました。
この経験は、松坂桃李さんの性格にも大きな影響を与えました。
「それまでは明るい子だったのに、あまり感情を表に出さない性格になってしまった」と、本人も振り返っています。
ただし、松坂さんは大人になった今、自分の名前を気に入っているようです。
生まれも育ちも茅ヶ崎。両親が史記と中国の故事から「自分らしさを大切に」「誰からも慕われる人に」と願いを込めて「桃李」と名付けた。「珍しいので芸名と間違えられることも多いですが、この名前を気に入っています」。【引用元:タウンニュース】
家族との距離感と独自ルール|姉が”女王様”だった子供時代
松坂さんは三人きょうだいの真ん中で、上にお姉さん、下に妹さんがいます。
家では”お姉さんが最強”だったようで、当時の自分は「お手伝いさんのような扱いを受けていた」と笑いながら話しています。
また、家族には独自のルールがありました。
それが、「彼女を家に連れてくるときは、まず”家族の判断”を受けること」。
でも、松坂さんはそのルールが嫌で、家族に内緒で付き合っていたようです。
しかし、お姉さんに下校中の彼女とのツーショットを見られてしまい、お母さんとお姉さんから「あの子はちょっと…」と反対されたというさみしいエピソードも。

家族仲は良いものの、こうしたやり取りは普通の思春期の男の子としての悩みを感じさせてくれます。
ミニ四駆、図工、消防士の夢…内向的だった少年の”好き”なもの
小学校時代の松坂さんは、図工の時間が大好きで、将来の夢は「漫画家」や「消防士」だったそうです。
特に熱中していたのがミニ四駆。
分厚い漫画雑誌や段ボールを使って自分でコースを作り、一人でずっと改造していたとのこと。
この「何かに熱中する集中力」は、まさに今の演技にもつながる部分です。

自分だけの世界に夢中になる性格が、松坂さんの”職人のような演技力”に生きているのかもしれませんね。
松坂桃李の学歴と経歴まとめ
いよいよ明日は「御上先生」
第9話
ヤマトタケルは誰なのか
御上と母親
富永
色々と明らかになります。
明日夜9時!#御上先生 pic.twitter.com/PvqAtS9hZA— 松坂桃李 (@MToriofficial) March 15, 2025
項目 | 内容 |
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名前 | 松坂 桃李(まつざか とおり) |
生年月日 | 1988年10月17日 |
出身地 | 神奈川県茅ヶ崎市 |
身長 | 183cm |
血液型 | A型 |
最終学歴 | 産業能率大学 経営学部(中退) |
大学時代の出来事 | 「FINEBOYS」モデルオーディションでグランプリ受賞、芸能界入り |
高校 | 相洋高等学校(偏差値48) |
高校時代の特徴 | 地味な存在・バイトとオシャレに熱中・進路相談で芸能界を勧められる |
中学校 | 茅ヶ崎市立松浪中学校 |
中学時代の活動 | バスケ部・青春のほろ苦い恋・松浦亜弥とのエピソード |
小学校 | 茅ヶ崎市立東海岸小学校 → 松浪小学校へ転校 |
小学生時代の特徴 | 名前を理由にいじめ・ミニ四駆・図工好き・将来の夢は漫画家と消防士 |
俳優デビュー | 2009年『侍戦隊シンケンジャー』で主演デビュー |
代表作 | 『娼年』『新聞記者』『孤狼の血』『梅ちゃん先生』など |
受賞歴 | 日本アカデミー賞 最優秀主演・助演男優賞など多数 |
結婚 | 2020年、女優・戸田恵梨香と結婚 |

最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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